上品に見られることがある私ですが、ときどきお下品な言葉がでるお茶目な面があります。
(自分で言ってしまうというところがまた、ねぇ…)
本日は、人との会話の中で「野ぐ〇」という言葉が出てしまいました。
真面目な話をしていたのです。
人生の中で現れるネガティブと”感じる”出来事や思いや感情について、それを「野ぐ〇」に例えていたのです。
自分の選んだ人生の道。
その道に、野花が現れようと、野ぐ〇が現れようと、その道を歩くと選んだのは自分。
その道に現れる景色を体験すること。
このような話を、もう少し軽やかなトーンで談笑していました。
家に帰ってきてから、野ぐ〇ワードが頭に残っていたわけですが、野ぐ〇=イヤなもの、という印象は、私にはありません。
現実社会であれば、飼い主さんが片付けるのがルールやマナーになっていると思います。
ただ、糞(ふん)そのものは悪いものではないですよね。
山の中で野良犬や野良猫がそれをしても、悪じゃない。
生きるものが生きる中で生み出したもの。
自分にとって大切な存在のそれなら、可愛らしく見えることすらあるわけです。
つまり、例えで出した、人生の道に現れる野ぐ〇=人生の中で現れるネガティブと”感じる”出来事や思いや感情。
それら全て、愛おしいものなのではないでしょうか。
痛みや苦しみを体感している自分にとっては、本気で辛い。
でも、真我(魂)の自分にとっては、それもまた宝であり、お楽しみだったりするように感じる私です。
この感覚があるから「真我が笑っている」と言われるのかもしれません。
真我が笑っていることについては、下記記事の後半で少し触れさせてもらっております。
最後に、センニチコウの可愛らしいお花で記事を中和して終わりにしようと思います(笑)
センニチコウの花は、小さな黄色い花で、とても可愛らしいです☺️
まるで、きらきら星。

ひとつの存在が色褪せることなく、長い時を刻む。
それを喜ぶものが生まれたとき、
マゼンダピンクの夜空に、黄金色に輝くきらきら星が浮かぶ。
