「ずっと苦しかったんだね」と思い自分を省みながらも帰宅すれば別の私─これを愛と言いますか?

彼が”自分の状況”を全く話してくれなくなって以降、私は彼がどういう状況にいて、どういう心境なのか、全て推測しなければいけなくなりました。

当然、全てが想像なので、正しく分かりようもありませんでした。

最近の彼は、これまでの間に何が起きていたのか、今どうなっているのか、よく話てくれます。

昨日は夜のドライブに誘いだされました。

2時間近く当てもなく車を走らせながら、彼は自分のこれまでのことを、ずっと話していました。

笑って話をしている彼でしたが、その中身はあまりにヘビーな内容でした。

「聞いてると胸が詰まるね」と答えたら「そうでしょ?きつかったなぁ」と、やはり笑って応える彼。

その笑顔は、「すでに抜けたから」ではなく、笑ってでもないと堪えられないからだと、私は思います。

まだまだ、終わりの見えない問題が残っています。

彼のそんな様子も分からない中、私は彼に感情的にメールをしたり、追いかけたりしていたわけです。

自分の行動を恥じるような、申し訳ないような、複雑な気持ちになりました。

彼はとても苦しい6,7年だったようです。

でも、私も相応に苦しい同期間でした。

そして、お互いの苦しみの期間を経て、二人の「今」がある。

だから、どっちが悪いということもないし、私は私で一生懸命だったんだよな、と思う気持ちも同時に湧いていました。

これまでの私は、彼の苦しみに同調し、彼を必要以上に気遣っていたのだと思います。

でも、今は、「ま、これは彼の課題よね」とどこかサラッとしてしまう私がおります。

関係が再開して、思うことがあります。

それは「一緒にいても楽しくない」ということです。

私は、自分で自分の感覚をこのように”正しく”言語化してみて、びっくりしました。

それと同時に「本当にそうだよな」と納得もしました。

楽しくないのは、感覚・価値観・スピード感など、様々な面で彼と違うからです。

私が私のままでいたら、彼と一緒にいることは難しいです。

彼の理解が追い付かず、ついてこられないと感じます。

そのため、私がほとんど彼に合わせることになります。

だから彼と一緒にいる時間が長くなると、私は窮屈に感じはじめ、「一人になる時間」が欲しくなります。

以前は、自分のことが分かっていなかったので、彼といられるだけで楽しいと思っていました。

でも、ここまでの期間、自分と散々向き合って、自分の心地よい感覚やスピード感が分かってしまっています。

だから、以前は分からなかった「彼との違い」や「合わせている自分」に気づきやすくなっています。

でも、一緒にいて楽しくないことや、私が合わせることが多いことも含めて「それでもこの人の傍にいよう」と思う私がいます。

彼が~をしてくれるから好き・彼といると~だから好き、と言った条件がありません。

彼の「存在」そのものが好きなのでしょう。

この感覚は愛の一つなのかな?

そんなことをぼんやりと思ったりもします。

今朝はモーニングから引っ張り出され。

誰にも話せないような内容を、私に話し続ける彼。

自分の気分や機嫌のままに、おしゃべりになったり、ぶっきらぼうになったりと、自分のペースのままの彼。

気遣いや思いやりをする余裕もないほど、毎日毎日何かに追われ続けている彼。

そんな日々の中で、隙あらば私を引っ張り出して連れまわす彼を見て、あぁ、この人は本当に私のことが好きなのね、と、心の中で「ふふふ」と思っています(笑)

そういえば、昨日は夜のドライブの途中で小さな公園に立ち寄ることになり、池の周りを歩かされました。

何の青春物語(笑)私は蚊に刺されないかそれだけが気がかりでした(笑)


今日は午後から一人時間。

カフェに向かう途中、紫色の花がキレイなのが目に入りました。

風が吹いて何度撮ってもブレたため、ピント調整は諦めました😂

デユランタという名の花かな?