新年が明けました─「論理的に理解できる文章にする」ということは

年末に個人的には気持ちに大きな影響を与える出来事があったように思います。

かつて、私はパワーブロガーと呼ばれていた時期があり、その時は有難くも本当のたくさんの感謝の言葉をいただました。

誰かに喜んでもらえたということは、自分の存在意義のようにも思えて、うれしかったのを思い出します。

今は、あの頃のように、相手が論理的に理解しやすいような、また、強いメッセージ性を含むような文章を書くことをやめました。

心理に触れるものは、常に”流動的”なものです。

言語化した瞬間、その流れが止まってしまいます。

「自分の信念や思想として確固としたものである」と、強く自信を持っているからこそ、強く書けます。

同時に、発信が強いほど、自分を偽ってしまう可能性もあります。

言葉は時に、人を縛りますね。

今、私が過去のようにできないのは、自分の信念や思想がないからではありません。

過去とは違う、新しいそれらを確かに持っていると感じます。

それに沿って生きているからこそ、明確な文章、強い言葉ができなくなった、そんな感じです。

感覚というのは、とても微細なものです。

「こうかな?」「こうかもしれないな」

そうやって何百回、何千回、疑っていたいものです。

このブログでは、何度疑っても「やっぱりこれしかない」と思っているものを、「~かもしれません」と、ちょっとだけ消極的にして発信しています(笑)

今年も気まぐれに何かを発信するのかな?