霊的感受性とか魂の記憶とか─あるとむしろ虚しい・寂しいときも?

一般的な感受性というのは、日常生活において生じる、五感や心の働きを通じた感覚のことを指していると思います。

たとえば、人の言葉や態度に敏感に反応する、音楽や美しい景色に感動する、他者の気持ちを察して共感するといった、現実的・心理的な範囲における感受性。

霊的感受性とは、目に見えない気配や雰囲気、または高次の存在やエネルギーに対して敏感である、というように、通常の五感では捉えにくい領域に対する感受性だと思います。

「魂の記憶」となると、さらに深い次元のものな気がします。

日常的な体験や、目に見えないエネルギーへの反応にとどまらず、自分という存在そのものの根源に刻まれている記憶を意味しているのだと思います。

たとえば、現世での経験には説明できない、懐かしさや既視感(デジャヴ)、前世や過去の出来事に由来するような感情や得意分野。

生まれる前から携えている使命感や傾向、魂の方向性─こうしたものが「魂の記憶」と呼ばれる領域に含まれるのだと思います。

感受性は「外にあるものへの反応」であるのに対し、魂の記憶は「内側にすでに刻まれているもの」。

この魂の記憶が、感受性の基盤にあるものなのだ感じます。

私には、おそらく魂の記憶と言えるものがあって、それは「こういう前世です」みたいなものではありません。

もっとずっと深く根源的なもの。自分がいた場所の感覚がはっきりしているのです。

地球上にはその感覚が満たされるところがどこにもありません。

だから、地球に生きているのは、なんとなく常に虚しい感覚があります。

「知っている感覚。ある感覚なのに、生きているこの現実世界にはそれがない」「大好きな人と一緒にいても、それを感じるわけではない。」

これは結構寂しいものです。

それでも、確かに自分の中にある感覚で、その感覚は、とても懐かしく平和です。

たまに現実世界でも、その感覚に触れられる時があります。

7月に行ったお寺の参拝時ではそうでした。

でも、お寺にいけばいいとか、仏像を前にしたらそうなる、といった単純なことではないものでして。

知っている感覚なのに、普段簡単にそれに出会うことがない。

常に確実にあるとしたら、それは自分の中だけ。

「自分の中だけだけど、まぁ確かにあるからいいにするか。たまに現実世界で味わえることもあるしね」

そんな風に自分に話しかけて、寂しさを紛らわすこともあります☺️