虚無感を考察してみた─何かが足りない。それを埋めた後

虚無感を感じるようになって3,4年が経ったでしょうか。

最初の1,2年は、その虚無感が耐え難く、虚無感に抗っていたように思います。

その次の段階では「どうにもできないから虚無感を”引きずって”生きる」という感覚になり、今はこの虚無感そのものに興味津々です。

そのため、最近は様々な角度から虚無感と共にある自分を記録しているのだと思います。

今日は、自分の中にある虚無感をもう少し客観的に考察してみました。

今ある虚無感のずっと前、その頃は虚無感とは違う「欠け」という感覚がありました。

「私の中で何かが足りない」という感覚です。

そのとき私は「本当の人間関係がほしい」と思いました。

その当時、人間関係に大きな不満があったわけではありません。

イヤなことはありましたが、それらは「生きていれば当たり前に起こること」と捉えて、日々を奮闘して生きていたと思います。

理性的には、生きていることへの感謝もありました。

それでも、感覚的に「何か足りない」とはっきり感じ、「本当の人間関係が欲しい」と思ったのでした。

それからほどなくして、今の彼との出会いがあり、約8年間、人生のカテゴリでいくのなら「恋愛の苦しみ」というものを経験する道に入りました。

そして、今はその当時に願っていた「本当の人間関係が手に入った」という実感・感覚があります。

しかし、それを手にしたとほぼ同時(少しそれより早く)今ある虚無感が生まれてきました。

この虚無感は、自分を動かしていたエネルギーが消失したことで生じているのだと、理解しています。

私を動かしていたのは「足りないものを埋めたい」という私の内側にある強い動機。

しかし、それを手にするために全エネルギーを使い果たしたようなもので、大変に疲労しました。

そして手にしたことで、今までの自分=足りないものを満たすために動く自分を、失いました

この2つが「虚無感」になっているのだと思います。

具体的に言うと次のような流れです。

1. 欠けに気づく

「本当のつながりが欲しい」と思う。
恋愛が、その欠けを埋めようとする行為(=手段)になる。

2. 恋愛をがんばることで自分を保つ

相手を想い、関係を築こうとする努力の中で、「がんばっている自分」が自分そのものになる。この時点で、手段(努力)が“生きる目的”に変わっている。

3. 成就した瞬間に支えが消える

恋愛が実ると、努力する理由がなくなり、「がんばっていた自分」という自分の支えが崩れる。
その結果、空白が浮かび上がる。

まとめ

「つながり」を得たことで、「つながろうとする自分」が消え、その自分が喪失したことで、虚無が生まれた

この虚無感が生まれるということは、それまであった「欲望・目標・関係・物語」といった、自分を支えていた一切のものがなくなったということです。

それまで“自分”だと思っていたものが、機能しなくなる瞬間です。

それまでの自分もいなくなったのに、これからの自分もいない(分からない)ものだから、何をしても手応えがない、意味が立ち上がらない状態です。

この空洞の中にしばらく留まることで、次に浮上してくるのは、「ただ在ること」そのものの感覚なのだと感じます。

自己を媒介せずに世界を感じる瞬間─見る、聞く、呼吸する、それらがただ出来事として起きているように感じられる状態。

ここで現れているのは、自分(自己)を通さないで感じられる存在の感触ではないでしょうか。「何もないのに確かに在る」感覚。

これを「無我」や「空」と呼ばれるものに近いのだと勝手に思っています。

そうでなくても重要ではありませんが、こんな風に言うとかっこいい気がしたので書いてみました(笑)

今日は雨。

やる気がないというより、何もしたくないという気持ちでしたので、時間つぶしにカフェはしごをしています。

時折り、伸びをして「やることないな~」と小さく呟いています(笑)

町の音、人の声、カフェの音楽。

どこに行っても、何をとっても、騒音に聞こえます。

波長も合わない。心地よさもない。

それで尚に「あぁ、私は地球で生きているんだなぁ」と、生きている実感が湧きます。

東京で20年近く、(時に)フル回転で生きていた時より、都会を離れてこのように暮らしている今の方が、私にとっては地に足をつけた生き方に感じます。