立ち止まることの価値を知るようになったころ─虚無感という空間にあるもの

マントラやアファメーションを「自分を奮い立たせるもの」と思っていたところから、

弱っているときに必要な支えを内側から引き出すものでもあるのだ、と感じられるようになった昨今の私。

それと同時に、立ち止まることに意味や価値があるのだということも、体感で分かるようになりました。

「立ち止まる」というのは、私にとっては”心地悪いもの”でした。

それは、社会の中で「成長」「努力」「成果」といった概念が強くあり、「前に進み続けること」に価値を置きやすい環境だからなのかもしれません。

私の知る限りではありますが、一般的な自己啓発では、そういった概念が強いように感じます。

その枠組みの中では、立ち止まることは「停滞」や「後退」と見られやすく、無意識のうちに否定的に感じてしまうのかもしれません。

また、前に進んでいると感じられるときは、「何かをしている」という実感があります。

一方、立ち止まることは「何もしていない」と感じられるため、不安や焦燥感が起きることもあるのかもしれません。

私の場合はそれらを感じました。

さらに、立ち止まると「今、自分は何をしているのか」「この先どうしたいのか」と考える時間が生まれます。

この時間に、頭の中で自分自身に問いかけたり、考えを整理したりする「自分との対話」がはじまります。

自分と向き合う機会がなかった場合、この時間そのものが苦痛になることもあると思います。

内面を直視すると、それまで抑え込まれていた心の声や感覚が見えるようになり、それが「痛みや空虚さ」として体験されることもあるものです。

どれだけ頭で「この時間も意味があることだ」と言い聞かせても、確かに感じられるものが「虚無感」だと、感覚の方に引っ張られるものです。

理屈ではなく体感で「あぁこれでよかったんだ」と思えるには、結局は「時間」が必要なものです。

言葉を道標にしながらも、最後は自分が体感して身に付けていくしかないんだよな、と思っています。

虚無感に押しつぶされないようにしていた頃は、こうして文章を書くことはできませんでした。

今はこの記事を含め、こういった感じで思いを言葉にできるようになってきています。

虚無感があることそのものに、体感として慣れたのだと思います。

「虚無」という文字は、ネガティブなイメージがあるように思うのは、私だけでしょうか。

空虚さや意味のなさ、喪失感などを連想させるように思います。

感覚としては「虚無」ですが、この空間は押しつけられるものがなく、自由で落ち着く場所だと今は感じられます。

私の言葉でいうと、この空間にこそ「霊感」が入り込んでいるようにも感じられます。