思い立ったが吉日。
昨日、人に招かれていった美術館にて、予想せず、仏像群の展示に出会いました。
そしたらなんだかとても、仏様とゆっくりお話をしたくなりました。
それで、観光化されていないけれど本格的な仏像があるところを調べ、偶然にも路線沿線にあったため、本日足を運んできました。
(偶然なんてないので、うまい具合に流されたなぁと感じられ、本当に笑っちゃいます)

電車で30分ちょっと。駅を降りてから徒歩15分。
完全に、見事なまでに、気持ちよいほどの汗だくになりました(笑)
ゆっくり廻ると2-3時間ほどかかる大きめのお寺でしたが、ほとんど、いえ、全く人がおらず。
後から聞いたところ、かなり珍しいとのことでした。
お陰様で、どの箇所でもゆっくりじっくり拝観することができました。

何体の仏像があったか記憶にありませんが、最もゆっくりお話できたのが2体。
1体は最初の堂にいらした弥勒菩薩像で、じっと見ていたら涙が止まらず、何か話かけさせてもらったように思うのですが、記憶に残っているのは「先に進みなさい」というお言葉だけです。
この「先」というのは物理的に次の堂に行けと。
私が胸いっぱいになっていたので、今日は話しにならないと思われたようです(笑)
振り返ってもう一度お話に行くとしたら、この弥勒菩薩像な気がしています。
その後の堂にいらした釈迦像とは、かなりゆっくりお話させてもらいました。
真ん前に座らせていただき、私から開口一番出た言葉が、
「地球は大丈夫なのでしょうか」という言葉でした。(実際は心の声です)。
このような質問をする意図もなく出た言葉なので、よほど私が気にしているようです。
返ってきたお言葉は、
「霊界のものと、人間界のもので力を合わせてやっているのだよ」という言葉でした。
そこには「大丈夫」という言葉はありませんでしたが、大丈夫なんだということが分かりました。
他、いくつか質問しました。
・地球が嫌なので、早くお迎えに来てほしいです
・私は何をしたらいいのですか、何ができるのですか
・あの人に対して私はどのように在ったらいいですか
どれも普段の意識には上がってこないものばかりで、「こんな質問をするんだ」と自分にびっくりしました。
また、像を通じて、どの問いにも納得いくまで答えを届けてくださり、心が安心して、ただただ温かかったです。
人がいなかったため、涙がこぼれるときはこぼすままに、お話を聞かせてもらえました。
とても解放される時間を頂戴しました。

「私は何をしたらいいのか・何ができるのか」、つまりはどう生きたらいいのか、
その答えは「笑っていなさい」でした。
それで思わずこう返してしまいました。
「つらく感じることもあって、笑っていられるばかりではありません」と。
そしたら、このように説明してくれました。
「真我が笑っていたらいい。そしてそれはできているから、そのままでいたらいい。もっと磨けばよい」と。
その他にも問答した話を私の解釈でまとめると
肉体持ったこの現実の自分は、泣いたり怒ったりしていても、大元・根源である真我の自分が笑っているなら、それが「光」になる。その光が地球には必要で、今、光は増えていっているから、だから地球は大丈夫だし、だから地球に生きる必要があるのだ。
という感じです。

人間は、霊界の存在と協力して生きているし、地球のために存在するために来ている魂もあるはずです。
今ではすっかり、魂の目的を忘れたか、魂を悪魔に売ったのか、人だけが地球の支配者になっているような社会的構図で、天からみたらなんとも嘆かわしい状態なのでしょうか。
それでも、地球は人間を受け入れて存在してくれています。
霊界・天界の存在が、宇宙の方向に沿って地球に対しても尽力しているとういうのに、「もう地球(の人間)は無理なのではないか」などと思うことは、とても失礼なことだと感じた次第です。
自然の「音」はきっと脳幹まで浄化してくれる音に違いないですね。
人間には聞こえない周波数があるでしょう。
最後におまけでやってみた水みくじ。
末吉でも凶でも有難く受け取る私ですが、大吉が出るとなんとなく「やった♡」となるのは、乙女心でしょうかね(笑)

仏像にも、たくさんの個性を感じます。
国宝の如来像と四天王像もありましたが、なんとも楽し気な雰囲気でした。
それで「やっぱり楽しい雰囲気はいいね」と思い、現実ばかりに気を取られぬよう、真我を大いに明るく楽しくしておきたいものだと思いました☺️

