昨日の溜息だらけの彼と打って変わって、今日の彼はずいぶんとお喋りでした。
カフェで1時間ほど、私はずっと聞き役をしていました。
目の前で妙に楽しそうに喋っている彼を見ながら、以前の私なら、この様子をとっても嬉しく心躍らせて共にいただろうな、と思っていました。
今の私は、ただただ彼を微笑ましく見ながらも、ちょっとした距離感を感じます。
その距離があるから、彼が溜息をついていても、ご機嫌でも、私の中で何かが安定的です。
この「何か」が何なのか、自問自答しました。
いろんな言葉を使ってもどうにもしっくりこず、「静かな海に浮かぶ小舟」という”イメージ”で落ち着きました。
海面には時折小さな波が立つけれど、舟はしっかりした錨で固定され、大きく揺れることはない。
彼の機嫌や理解は、遠くの風のようなもの――影響を与えるかもしれないが、舟の安定を崩すほどではない。
錨は、自分軸・信念・精神的な強さ・無条件の愛など、様々な要因から成り立っていると感じられるため、イメージでしか決着がつかなかったです。
彼との間に感じる距離感に、ちょっとした虚しさがあります。
これは悲しい意味ではないのですが、それでも確かに感じるものです。
それはきっと、舟である自分が、海の上でたった一つ存在しているからなのでしょう。
そしてこのイメージはきっと真理なのだと感じます。
真理であったとしても、人間としては「繋がりを感じたい」「(正しく)理解されたい」という感覚が残っているから「虚しさ」という感覚になるのだと思います。
(補足メッセージ)
海に安定的に浮かんでいる舟を見て、彼は安心感を感じると同時に、自由にあるように見えるため、彼から見ればあなたはつかみどころがないように感じる

お茶も終わって、いつものようにサッサと歩き始めた彼の後ろについて歩いていたら、突然、「御座候いる?食べたことある?」と早口で聞いてきました。
御座候って何?今川焼や大判焼きと違うの?
と、ほんの一瞬、疑問が頭によぎっている合間に、返事を待たずして注文をしている彼。
真夏日でしたし、お茶が切れてから時間は経っていましたので、すっかり喉はパサパサしていました。
いる?と聞いたのだから、いるいらないを答えさせてくれてもいいのに😂
まぁ、そういうことをしないやつなのです。
彼の中では「自分がいいと思ったものは、私もほしいに違いない」と思い込んでいるように感じられ、そういう彼が可愛くて好きです。
