待つ苦しみからの解放と「現実化」の関係─期待する未来を”待たずして待つ”という感覚を言語化してみた

彼からの連絡を待つ。
結果が出る未来を(信じて)待つ。

こういった「待つ」が長くなると、私はイライラしたり不安になったりしていました。

「いつ連絡がくるの?」「いつ結果が見えてくるの?」

「いつ・いつ・いつ」という言葉が頭の中を巡っていたように思います。

私は、人には思考を現実化する力があると思います。

「こうなってほしい」と未来を描くと、きっと「成る」のだと思っています。

彼からの連絡もきっと来るし、描いた未来もきっとなる。

実際、振り返れば、そうなっています。

だけど、「タイムラグ」があるんですよね。

自分の欲しいと思ったタイミングで来るとは限らない。

私には、色々身に付けなくてはいけない心の扱い方がありました。


自分の欲しいタイミングで”事”が起きて欲しいと思うから、イライラしたり、不安になったりする。

私の場合は、返信を全くしてくれない彼にイライラして「どうしてLINEを見てくれないの」とせっついて見たり、「既読したらちゃんと返して欲しい」と、強要してみたこともありました。

欲しい結果に向けて積極的に動いたことで、彼に疎ましがられ、余計に手にしたい結果が遠ざかるという…。

かといって、彼に何も言わずに「ただじっと彼のペースに合わせる」という選択をしても、イライラはどうしようもできなかったです。

こういった目先のことだけでなく、彼との関係の変化についても「前に進むのか」という漠然としたイライラもありました。

「待つ」の裏には、「期待」と「確実ではない未来」がぶつかっています。

「こうなってほしい」と願うほど、期待は強くなるし、期待は見えない荷物のように心にのしかかる。

そして、現実とのズレが生じたときに苦しみとして感じられる。

また、「いつ来るのか」「まだ来ない」という意識が強くなることで、時間の経過自体が苦痛に感じられるし、無意識のうちに「どうにかして結果を引き寄せたい」というコントロールの欲求も生じてきます。

しかし、現実は必ずしもその通りにはならないため、葛藤や焦燥感も生まれる─


今も「待つ」ということは、良く起きています。

それでも、以前のような苦しみがなくなっており、今の私の待っている状態を言語化すると「待たずして待つ」という言葉になりました。

これは、

1.積極的な行動は取らず、流れに任せている:何かを無理に引き寄せたり動かそうとはしない。

2.でも、心のどこかで受け入れる態勢は保っている:チャンスや出来事が来ることを閉ざしていない。

という、能動と受動が同居している状態です。

外から見ると「ただ待っている」ように見えるけれど、内側では微細な感覚や準備を維持している状態といえるかもしれません。

無理に動かさなくても、自然なタイミングで力を発揮できるし、チャンスに対してもオープンなので、変化を引き寄せるスペースがある。

このスタンスは、思考の現実化力を使いやすくする心の在り方なのかもしれない、と感じます。

ここ最近の自分のことを振り返ってみて、苦しみから解放されたことで、現実化のスピードが速くなった印象があります。

現実化のスピードが速まったから、苦しみから抜けたのではなく、苦しみから抜けたら、現実化が早まったというのがミソだなと思います。