全く違う世界にいても合流するときはする。だから自分の世界を全力で。

今日も彼からお呼びがかかり、二日連続で彼と会ってきました。

再来週は5日連続の予定が上がっています。

今年に入ったころまでは、一ヶ月(以上)も空けられていたことがあったのに、状況が変わったら一気に流れも変わりました。

恋愛に時間を割くことに優先順位を持てない彼は、仕事(共通の目的がある状況)を介しての時間の共有しかない─という中で、年間単位で彼が辿り着いた策。彼の自営の案件の一部を私に委託してきたのです。

それで会う頻度が増えています。

今はまだ甘い会話も楽しい会話もなく、ただただ仕事の話をするだけの時間。


以前、彼に距離を空けられるようになってから、彼の心境・状況が全く見えなくなりました。

今になって、彼の現在の状況が分かるようになり、「私たちがいる世界がいかに違う世界なのか」ということがはっきりと見えます。

彼からみたら私はお気楽・不思議さんに見えているようで、私から見ると彼は深刻・不器用さんに見えます。

もちろん、これは真実ではなく、それぞれがお気楽な面も真剣(深刻)な面も、様々にもっているはずです。

それでも根本的なエネルギー値の違いがあったり、住んでいる世界の違いがあったりします。

彼は現実に住んでいて、私は現実を生きながらも、感覚や感情といった世界に身を置いています。

だから、接するたびに「全く違う世界」と感じます。

それでも私は自分の世界を譲ることなく、私は私の世界を全力に生きながら、彼に向き合い続けてきました。

私と彼は「かなりズレいていた」「全く噛み合っていなかった」。

それでも、合流しています。

それがなぜかと言えば、最後に残るのは「感覚」だからなのだと思います。

どれだけ頭で「合わない」「理解できない」「無理」と思っても、感覚が相手を求めるならば、その感覚が「無意識下で働く=引き合う」からなのだと思います。

私は、私と彼の間に流れている「何か」を感じ取り、それが真実だと感じた感覚を手放すことができませんでした。

彼を好きでいることが苦しいときは、別の道を模索しましたが、結局は、私には彼を好きでいる道しかないことを理解しました。

彼もまた、結局どれだけ理性で私を理解できなかったり、受け入れられなくても、私といる時間に感じる何かを手放すことができなかった。

だから、長い時の中で彼なりに苦しみながらも「私と一緒にいられる時間」を捻りだしたのが分かります。

一時は、彼に合わせるために自分らしさを押し殺すようなときもあったように振り返ります。

その方が表面的には、彼の世界に合わせた自分だったのかもしれません。

でも、それで彼との関係が持続したところで、私は満足できなかったでしょう。

どこまでも自分全開にしても「それでも合流した」というところに、満足感と勝利感があります。

この勝利感は、「現実に負けそうになる自分に勝ったから」なのだと思います。

見えない感覚を信じる私と、現実に直面する度にめげそうになる自分との長い長い闘いは、ようやく終わりを迎えたのだと思います。