人は「自分でいられる他者」を求めているのではないか、という人間関係に関する考察

感受性が強く、繊細さんと呼ばれる方。最近だと、人との交流を好む/好まない、刺激が好き/苦手といった分類で、HSP,HSS,HSEといった言葉もありますね。

こういったタイプ診断に関わらず、人との交流や人との関係について、好む/好まないというのをはっきりさせるのは難しいものではないでしょうか。

例えば私は、一人の時間を好みます。

人といると気を使って疲れるからです。

一人でいるのが好きというわけではなく、「人といると疲れるから」という消去法的な選択の結果でもあります。

人といても気を使わず、感受性も乱されないのであれば、人といる方が楽しいことはあります。

時間の流れが早く感じますし。

彼は唯一、その相手になります。

彼といても気を使うことはありますが、エネルギーの循環を感じられるのでカバーできています。

気を使ってエネルギーを消耗しても、回復も同時に行われている状態です。

自分でいられる相手で、かつ、自分が好きな相手だと、エネルギーの循環や回復が起きるのだと感じます。


自分でいられるとは、自然体での関わりができるということ。

相手の前で、無理に自分を演じたり、感情を抑えたりせずにいられる状態です。

感受性が強いほど、他者に合わせすぎて心身に負担がかかり、エネルギーが消耗されます。

自分でいられる相手には、その消耗が少ないうえ、「好きな人」であれば、そこに安心や喜びと言ったエネルギーが生まれるので、それがエネルギーの消耗が補充されるのでしょう。

人との交流が苦手な場合でも、エネルギーの補充や循環がある相手なら、人は人を求めるのではないか、自分の体験からこんな風に思うようになりました。


ここで「じゃあどうしたら、恋愛において、自分でいられる人と巡り合えるのか?」という問いが出てきます。

私が思うに、その人と巡り合えるように、いつだって天は「機会」を与えてくれているのだと思います。

天の機会がすんなりと与えられる場合もあれば、そう簡単に手ができるようにはなっていない場合もある。

なぜなら「自分」というものに辿りつくまでに、様々な自分の中にあるメンタルブロックとかトラウマなどとも呼ばれることがある、心の傷や思い込みを手放すプロセスが必要な時があるから。

その過程では「恋愛の苦しみ」「人間関係のいざこざ」がありがちです。

その場合は、それを越えたところに、自分らしくいられる人と一緒にいられる地点があるのだと感じます。

いつものコメダ。

目の前に彼がいる時もあります。

彼といると、楽しい瞬間があったり、一日の充実感を感じられたりする時もあります。

ただ、エネルギーの動きそのものに疲れを感じて、一人になりたくなる時もあります。

一人の今は楽ですが、退屈です。

どっちがいいのかは正直よく分かりません(笑)