心地よい/心地よくない、好き/嫌い、こういった「感覚」というのは、とても原始的で、個人のもの。
だから、感覚的に生きることができたら、一番「自分らしく生きられる」と言ってもいいのだと思います。
でも、実際そんな風に生きられるばかりではないですね。
人間は社会的な生き物でもあるので、自分だけの感覚を優先することはできないことがあります。
その中で他者に譲ったり、我慢したりすることを覚えていくのだと思います。
人間関係の中では、相手と自分の感覚・心・思考が交錯します。
恋愛において、例えばこんな風に、複雑なものが複雑に絡み合います。
・本当は好きだけど、好きになってはいけない
・本当は甘えたいけど、(男だから)甘えるわけにはいかない
・本当は会いたいけど、会いたいと言ったら(相手に負担になるから)言ってはいけない
・本当は悲しいけど、泣くと怒られるから泣けない
さらに、自分らしさを保ったり、相手を受け入れたりするには、自分の心を整えていく必要がある。
自分軸の獲得、ですね。
でも、自分の心を整えても、相手が心を整える準備がなければ、関係は思うようには進まない。
これが現実だと感じます。
こういった現実を前にすると「不安」がもたげます。
私たちの未来はどうなるの?この努力は実るの?
そうして不安が湧くと、ますます「思考」が働きます。
思考というのはたいてい「なぜなら~だから」と、因果関係を説明するものだと思います。
・出会いの意味
・魂の目的
こういったものを知りたがるのも、頭で現状を納得したいときなのだと思います。
私たちはツインソウルだから。
私たちは因縁があるから。
こんな風に「~だから」という理由を持つことで、現実の苦しみを理性で納得させたくなるのではないでしょうか。
私自身、彼との関係で生じた苦しい期間、さんざん思考を働かせて、苦しい感情を理性で納得させてきたと振り返ります。
それらが無駄だったとは思っていません。
たくさん模索したお陰で見えたもの・掴んだものがたくさんあります。
ただ、事実としては、
「不安が大きいと思考が(必要以上に)働く。そしてその思考が自分を疲れさせる」というのがあります。
思考は自分の感覚・霊感を鈍らせたり、押し殺したりします。
だから、自分らしさから遠ざかり、苦しくなったり疲れたりするのだと思います。
好きなものを好きと言えない。好きだと言ったら相手が苦しむ。
なぜ好きなものを好きと言ってはいけないの?
なぜ私が感覚で感じ取っている彼の心理や彼との未来と現実がここまで違うの?
「感覚と現実の大きな差」が、私の苦しみの一番大きな原因だった気がします。
その苦しみを抜けて、自分を幸せにしてくれる道があるとしたら?を振り返ると、その答えは「天の示す道に進むこと」なのだと思います。
天の示す道とは、「自分がそうとしか生きられない道」だと思います。


毎日彼に付き合って外食やお茶ばかりで、唇の下に出来物ができました😓
「本当は家で健康的な食事を食べたい」という思いを後回しにして、彼に合わせる私。
そんな私の陰ながらの努力(?)を考えることなどあり得るわけもなく、「口の下、出来物できてるよ。なんか悪いもの食べてるんじゃない」と言ってくる彼。
ほんと、デリカシーのないやつです。
まぁいいのです。それでも大好きですし、もう少し関係が安定した暁には、しっかり教育していきますからね(笑)
