「何のために生きるのか」「あの人との出会いは何の意味があったのか」「私の人生の目的はなんだろう」─こんな風に考えるときがあります。
そういった疑問がある時は、「紙」を通してその答えをもらうことが多いです。
仏像や夢から答えをもらえることもあるのですが、紙が最も身近でよく使います。
最近の「答え」や「声」をもらう出来事
・悩みや憂いを聞いてもらいました─どう生きたらいいですか
・私たちはもう大丈夫─文殊菩薩の労い
・質問疑問を宇宙に投げてみた結果
質問・疑問をノートに書き出すと、思いもよらないスピードで答えが降りてくることもあります。
よく分からないシンボルや単語が出てくることもあります。
そのときは、それが何を意味するのかを考えて、それからまた質問・疑問に進む、ということを繰り返します。

あらかたすっきりするまでやった後、ノートを見直すと「なるほど、そういうことなんだ」と思うものです。
私は、原因と結果の関係(因果論)や、縁といったものを「あるもの」として会話に出すこともあります。
ただ一方で、「意味や目的などなくて『今』があるだけ」という感覚もあります。
量子力学では、出来事があらかじめ決まった目的に向かって進むという考え方はありません。
観測や相互作用が起きるまでは、複数の可能性が「重ね合わせ」の状態で存在しており、その中から確率的に一つが現実として現れます。
このため、未来は固定された一本の道ではなく、現在という瞬間に多くの可能性が集まり、その中から結果が選ばれると理解できます。
つまり、「出来事は確定した目的に向かって進むのではなく、無数の可能性が”今”に集約されている」ということですね。
私はこの方が、安堵や納得感が強いです。
それでも、意味や目的を見つけることで、状況を理解したり納得したり、自分の行き先に方向性を持たせることができます。
そのため、たまに意味や目的を見出したくなります。
こう考えると、人生や出来事に「目的」や「意味」を求めることは、人間の思考の癖のように思います。
今回は「彼との出会いの意味は?」という質問で宇宙にアクセスしてみたのですが、通常の因果関係や物理的な連続性を超えた答えとして示されました。
宇宙というのは、いつも「その人に最適なもの」を投げてくれると感じます。
最適というのは、「解放になるもの」と言ったら良いのでしょうか。
縁という考えでの答えがぴったりな時は、それに即したもの。
そうではない視点の方が、解放になるのなら、それに即したもの。
だから答えすら「一つ」ではない。
私が「紙」に向かうのは「紙=神」様との遊びであったり、コミュニケーションの一つです。
