「納得できる」とは─理解は頭の仕事。受け入れは心の仕事

理解とは、物事を「どういうことか」と頭で整理し、因果関係や意味を把握する知的なプロセス。

情報を分析する行為なので、ここでは理性や論理が働く。

一方で、受け入れは心の領域で行われるもの。

たとえば、人の過ちを「理解する」ことは簡単でも、「許す」「受け入れる」ことは難しい―これは、心の仕事が残っているからですね。

理解できても、自分の内側で「それでいい」と感じられるかどうかは別の問題です。

受け入れるには、感情や価値観、自分の弱さや痛みとも向き合う必要がある場合があります。

理解は知性による整理、受け入れは心による和解。

この両方が揃って初めて、本当の意味で納得できるのではないでしょうか。


理解と受け入れの両方が必要になるのは、人が現実と自分を調和させて生きるためのように思います。

どちらか一方だけでは心に歪みや葛藤が残ることがあります。

たとえば、人間関係で何度もきつい言葉をかけられる場合、心で「相手にも事情があるのだろう」と受け入れることはその場を穏やかにします。

でも、「なぜ自分ばかりが傷つくのか」と理解しなければ、同じ関係を繰り返すことがあります。

理解があれば、状況を見抜き、次に取る行動を変えられます。

失敗の場合も同様で、うまくいかなかったときに「まぁ、そういうこともある」と受け入れるのは心の柔らかさでもあります。

でも、そこで終わってしまい、何が原因だったのかを理解できないままだと、また同じ失敗をしてしまう。

何が要因だったのか、理解を加えることで「次はこうしよう」という新しい前進が生まれます。

仮に同じ行動をとる場合でも、理解を経た心であれば、感情の揺れや痛みの受け止め方が変わり、心の負担は軽くなるものです。


私は、自分自身の「納得」というのを、とても重要視してきたと思います。

他者のことは「曖昧」「なんとなく」ができるのに、自分の内面のことになると、それができませんでした。

特に「生きるとは」「自分とは」への納得を、執拗に追い求めてきていたように思います。

追い求めてきた今、それが何の役に立っているわけではありません(笑)

ただ、生きることへの揺るぎない納得感があることは、強さと言えるのかもしれません。

オンシジュームの黄色が鮮やかで、どうにかこの綺麗さを撮りたいと思っても、どうにも上手く写すことができません。

目に入るたびにハッとなり、気分を良くしてくれる素敵なお花🌸